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あなたは何のために演奏をするのでしょうか?

クラシック音楽家は何のために演奏をするのか考えたことがありますか?

少し前には当たり前だった日常生活が一変し、激動の流れの中で、今までの在り方を見つめ直している人も多いのではないでしょうか?もしくは、強制的に方向転換を余儀なくされる出来事が起きている人々も少なくないと思います。

演奏家たちもオンラインコンサートや、演奏を動画配信したりしているのを見かけるようになりました。その多くは、YoutubeやSNS上で配信され、無料で多くの人々が視聴できるものです。
音楽家たちは、隔離生活を余儀なくされている人々を元気づけるため、励ますため、癒すため、という名目で演奏動画を配信しているのだと思います。

けれども実際には、多くの音楽家たちにとって、それらは大義名分に過ぎず、本当の目的は、自分たちの演奏を披露したいからなのではないでしょうか?
そういう人たちの演奏はひと目見て分かります。『私をみて!私って凄いでしょ?!』というのが、滲み出ちゃってるのです。建前の善意とは裏腹に、その下心が透けて見えてしまっているのです。チャリティーコンサートにも同じことが言えますね。
残念ながら、そんな演奏を聴いて喜ぶのは、その人たちの近しい友人たちか家族だけです。

クラシック音楽家は本来、音楽の素晴らしさを表現することが仕事です。クラシック音楽は、自分たちの素晴らしさを見せるためのものではありません。自分の感情を表現するものでもありません。

そのことに気づき、音楽家としての自分の在り方を見つめ直したとき、私たちは自身のエゴと向き合わなくてはいけません。エゴは誰しもの中に存在していて、いろいろな意味合いを含みながら、様々な形で顔を出します。

今回はその事について少し掘り下げてみようと思います。

そもそもエゴってなに?

エゴ=1、自我、自尊心 2、利己主義な考え(自分の利益だけを考えること) 3、利己主義な人

自尊心と聞くと、『自分を大事にすること』だということが分かります。けれど、それが行き過ぎると、『私って凄い!』になり、否定的な印象になります。さらにそこから自惚れ(うぬぼれ)にまで発展してしまうと、自分のことが好きで惚れ惚れとしている、という状態になります。ナルシシズムとも言います。そして、『こんなに素敵な私を見て!』となるのです。
つまり、同じエゴ(自尊心)の中にも濃淡がある、ということです。

エゴの強い人の特徴
・プライドが高い。競争心が強い。
・変化を恐れる。(不安だし失敗するのが怖いからやめておこう。)
・自分にしか興味がない。自分の話しかしない。人に質問をしない。
・自信満々。自信がない。

これらの特徴は一見すると、それぞれに全く違ったキャラクターに思えますが、実はエゴのルーツを辿っていくと、全てが繋がっているということが分かります。

自信満々な人=エゴが強い、というイメージは抱きやすいですが、自信がない人も同様に、その精神構造は同じです。
自信がない=プライドが高い。失敗するのが怖い。失敗する自分が許せない。といった感じでしょうか。

エゴのルーツとは
生存本能で、言ってみれば生存維持装置のようなものです。そしてエゴは私たちの潜在意識とも深く繋がっています。私たちの顕在意識(私たちが普段頭で考えていること)は、実は意識全体の3〜4%に過ぎず、残り96%は潜在意識(無意識レベル)と言われています。

生存維持のためのエゴは、危険やリスクを嫌います。その結果、現状維持を好み、変化に対して不安や恐れという形で、ストッパーのような役割を担っているのです。
それが、良くなりたい、変わりたい、と言いつつ、エゴに入る隙を与えて、言い訳をしながら結局は行動に移せない理由です。

つまり、私たちが変わりたい、と頭では思っているつもりでも、大きな潜在意識(エゴ)が変わりたくないよ〜!と思っている状態では、なかなか上手くいかないのも納得できますね。

このように、エゴ=生存本能=潜在意識と捉えると、エゴは私たちの中に深く存在し、取り去ったりできるようなものではないことが分かります。ここで大事なことは、いかにエゴと向き合い、自分を客観視することができるか、ということです。

この機会に是非、自分の中のエゴと向き合ってみて下さい。
エゴは抑えつけたり、否定したり、取り去ろうとすればするほど増大する、という性質があるそうです。一方、エゴの存在を認め、感謝すると小さくなる、という性質もあるそうです。見方によっては、エゴは私たちを危険から回避してくれる、有難い存在でもあるのです。

私たちは、これらのエゴの特徴を理解し、『あ、今エゴのスイッチが入ったな。エゴが発動したな。』ということが認識できるだけでも、その行き過ぎた状態を収めることができるのです。

エゴの強い音楽家とは?

自分が演奏したくて仕方がない人です。承認欲求にも似たものがあります。成功したい、認められたい、という人たちです。
これらは決して悪いことばかりではありません。誰しもが、音楽家であるならば、多くの人に演奏を聴いてもらいたい、そして喜んでもらいたい、と思っているのは当然のことです。

けれども、それが行き過ぎると、本来の目的であるはずの、『楽曲の素晴らしさや美しさを届けること』から、『自分の素晴らしさを見せるため』という目的にすり代わってしまうのです。

クラシック音楽は作曲者によって、すでに完成された作品です。私たち音楽家は、その完成された作品を、楽譜通りに再現するのが仕事です。楽譜に書かれたことをその通りに表現することができれば、それで十分なのです。
そこに私なりの表現や個性をあえて付け加えよう、などと考えるのは大きな誤りです。『私はこういう風に演奏したいの!』という身勝手な思い入れも邪魔でしかありません。

楽譜通りに書かれた事を演奏するだけじゃつまらない、そんなのコンピューターだってできるじゃないの?と思うかもしれませんが、そういうことを言う人に限って、楽譜通りに演奏する技術すら持っていません。また、楽譜通りに演奏する、ということのコンセプトすら理解していない人がほとんどです。

個性を出すために、人と違ったことをしようとする必要もありません。あなたが演奏家として正しく機能さえしていれば、すでに個性はそこに存在しているのですから。

楽譜通りに演奏することってどういうこと?

まずその作品が作曲された当時の時代背景や、文化的背景、作曲された経緯、また作曲者の人柄なんかも知っておくと良いでしょう。音楽は人間が作ったものです。そして、人間の生き様が映し出されたものです。

例えば、「誰に向けて作曲された楽曲なのか」も大事な要素ですね。オペラであれば、酒瓶を片手に呑み食いをしながら、立ち見席で、ワイワイガヤガヤ盛り上がっている大衆を楽しませるために作られた作品なのか。もしくは、位の高い貴族たちを満足させるための作品なのか。などによっても、そのスタイルや表現方法は全然変わってきますよね。

スタイルとは、その音楽の持つ様式(リズム、テンポ、音のモーション)であったり、表現、感情、色彩に至るまでのニュアンスなどです。
つまりクラシック音楽を演奏するときには、あなたの好みや勝手な判断で、あなたが美しいと思うだけではダメで、その美しさがスタイルにマッチしていなくてはいけない、ということです。

また、良い音楽とはロジカル(理論的)に構築された音楽のことを言い、好き勝手に音を引き延ばしたり、リズムを崩したりして、音楽の構成を乱してもいけません。つまり、スタイルにマッチした美しさ、ロジカルに整った音楽、人間の生き様や情熱など、様々な要素が折り込まれて、はじめて、楽譜通りに演奏するということを意味するのです。

音楽家たるもの職人であれ

私たち音楽家にとって最も大事なことは、楽譜通りに表現をするための技術(スキル)とテーストを日々磨き続けていくことです。あくまで楽曲の美しさ、素晴らしさを表現し、継承していくため、それができるような自分になるために、自らを高めていかなくてはいけません

音楽に対しての謙虚な姿勢が大切なのです。音楽家は職人のように、音楽のために精魂を込めるだけです。自分を変えるつもりもないくせに、自分を良く見せたい。というのは都合が良過ぎます。それは音楽を利用して、エゴを満たそうとしているだけのことです。

どれだけ素晴らしい名器を手に入れたとしても、どれだけ超絶技巧を身につけたとしても、それらが自分の素晴らしさを証明するためだけに使われるのであれば、空虚で意味のないものになってしまうのです。

今一度、私たちは何のためにクラシック音楽を演奏するのか、という原点に立ち還ってみませんか?独り善がりの演奏になっていませんか?

 

 

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